mercredi 10 février 2016


「どうしてそれほどまでして働くのですか?」

 

去年の暮れに知人の歯医者さんが急死しました。
これで私の身近の歯医者さんの死は、5人目です。
本来死ぬべき時期ではない死がこれほどまでに訪れています。
私の父(59)、私の主人(51)、私の恩師フランス パリ第5大学矯正歯科元教授(60歳前半)、私の恩師フランスでの矯正歯科勤務先の院長(50歳前半)、そして、去年の暮れに私の知人歯科医師 開業医(45)が、脳出血で急死しました。この死に直面するたびに私は大きなショックを受けてきました。
この人たちの共通点は、もちろん歯科医師という職業ですが、その原因は自分の健康を顧みず具合が悪いのに働き続けたことです。

―歯科業界の過酷な現状―
歯科医院経営は、大きな企業や会社と違い、院長が休んだらそこで収入が得られなくなる職業です。会社だったら、社長が体調が悪いと思ったら有給を使って、ほかの社員が代わりに仕事をしてもらい自分のために病院に行けるのですが、大抵の歯科医師は1人で開業し、それ以外のスタッフは、衛生師さんや受付秘書、あるいは歯科助手といった、歯科医師の指示があっても、院長不在だと歯科治療は基本的にはできないのです。病気になったら代わりがいないのです。もちろん代診の先生に一時的にお願いすることはできても、前もって計画して代診の先生を探しておかなければいけません。急に朝、具合が悪くなったら、その日の患者さんは、キャンセルせざるおえません。そしてその日の収入はゼロとなるのです。歯科治療とは、技術の提供で、その技術を(その歯科医師)を信頼して患者さんが来院してくれるのであって、院長が病気になったら、歯科医院経営維持は、かなり難しいのが現状です。

私ごとになりますが、私は日本で矯正歯科専門医として開業して5年目で妊娠しました。患者さんに迷惑をかけずに、妊娠休暇をとるには、代診の先生に来ていただくしか方法がありませんでした。そして患者さんからの報酬は、治療をしてくれた歯科医師の技術のおかげですので、収入のほとんどが代診の先生のものになります。つまり、妊娠休暇をとっているあいだ歯科医院経営に必要な経費、衛生士さんなどのスタッフの給料や材料費、高熱費などは出ていくばかりです。2人以上の歯科医師が必要なぐらい充分な患者さんの人数を確保出来ないかぎり、臨時で妊娠や出産、あるいは病気で代診が必要になった場合、一刻も早く復帰しなければ医院の経営に大きなダメージを受けることになります。結局、私は、妊娠前後、休んだ期間は3カ月でした。当然無理がたたって、今になって慢性腰痛などの後遺症で苦しんでいます。また、授乳もできなかったので、最初から人工乳にせざるおえませんでした。周りの人たちにも、かなり迷惑をかけました。
私のこの妊娠というおめでたい事でさえ、歯科医院を経営している立場の人には、大変なマイナス要素になってしまうのですから、病気になったら、歯科医院経営はどうなってしまうか想像つきますね。一大事です。私の場合は、父の診療所を引き継ぎましたので、診療室の家賃がなかったので、何とかこの時期を乗り切ることができました。これで家賃でもあったら、子供を作る事を諦めるしかなかったかもしれません。

多くの若い開業したての先生たちのほとんどは18歳で歯科大学に入学して卒業し、そのあと大学院や一般開業医で修行して、開業するまで歯科専門の知識と技術を習得するのに精一杯です。何か事業を初めて利益を得られるための知識などほとんどないまま、いきなり大人の社会、しかも先生という立場でなかなか気軽に経営について相談したりできない立場になってしまうのです。
暮れに亡くなった知人の歯科医師の毎日の生活を亡くなった後に知りました。
まず、休みは週に一度です。45歳独身、ご両親は歯科関係のお仕事ではなく、遠くにお住まいです。一からの開業で、金銭的に援助してくれる人はいません。
生活も含め、すべてのことを全部自分でやらなければならなかったのです。
普通の企業や会社だったら、いくら小さい会社でも、社長以外の社員の力を借りて、みんなの力で収入を得、経営が成り立ちますが、歯科医院の場合、治療はもちろんのこと、経営のことや、歯科医師会に入会したり学会に参加したり、すべて1人でやらなければいけないのです。もちろん、開業して何年かたち、医院が起動にのれば、自分以外の歯科医師を常勤医として雇うことができ、法人にして会社経営のように、本人が実際身体を使って働かなくても雇った歯科医師に十分に技術の伝達ができていれば、診療室の経営ができるようになりますが、実際、このような形で歯科医院の経営に成功するまではかなりの年数が経ってからです。

私の知人の歯科医師の死は、開業7年たち、やっと軌道に乗り始めた矢先でした。
夜しか来院できない人のために、夜8時すぎまで診療することもしばしば。独身だったため、食事を作って待ってくれる人はいないのです。食事は、毎日ほとんどお弁当を買って済ましていたようです。また、彼の書斎からは、何個も血圧計がでてきました。どうやら体調が悪いことをに本人も気づいていたようです、自分でも血圧が高く心配だったようで、あまりにも高い血圧を自分でも信じたくなかったのか、どんどん最新の高価な血圧計を購入し自分で体調の悪いことをを誰にも相談できずに苦しみ悩んでいたことがわかってきました。そんな中、休みもとれず日々の診療に追われていたようです。

一般の会社勤めの人たちの中にも週休1日、そして夜遅くまで働いている人たちもたくさんいると思いますが、歯科治療は皆様の想像以上にかなりの肉体労働です。その上、ミクロの単位で精密さが必要となり、かなりのストレスとなり身体を痛めつけていきます。そして、日本の場合、医療従事者という立場から、真面目な歯科医師であればあるほど収入がえられなくなる歯科の保険診療システムが、さらに歯科医師を苦しめるのです。日本は保険治療が主流であり、途上国並みの料金設定で先進国並みの歯科治療を要求される世界でもまれな国です。
こちらカナダ、ケベック州を例にあげますと、ケベックは、歯科治療のほとんどが9歳以上は保健でカバーされません。(例外もあります。詳しいことは、私が以前書かせていただいた歯科雑誌クイントエッセンス社さんの2010年度版の10月号と12月号に載っています。)
こちらに移民した当時、歯医者さんが頻繁にお休みで、「日本に比べて、ここの歯医者さんは全然働くず、保健もきかず、なんて不親切な。」と怒っていたことを思い出しました。

しかしながら、10年もこちらに住み、日本を外から観察していると、違った意見をもつようになりました。
ここケベックは、週休3日の歯科医院がとても多いです。さらに、子供の夏休みやクリスマス休暇に合わせて長期休暇も当然のようにとります。しかしながら、歯科医師の数がコントロールされていますので、どんなに休みが多くても、サービスが悪い歯科医院でも患者さんの確保に困るということはなく、大抵、どこの歯科医院も歯科治療の予約は、1か月以上予約がとれないぐらい混んでいる歯科医院がほとんどです。
こちらの歯医者さん、まずは、患者さんの治療の前に、自分の健康第一。そして家族との時間を大切にします。
私はこれでよいと思うのです。なんのために生きているのか、という基本的な人間の権利がしっかり守られてるのがここケベック州なのです。日本のように豊かではありませんが、皆、幸せそうです。先生という立場の人たちでさえ、好き勝手にいきているのです。

私の主人が病気になって、私が最初にした言葉、今でも覚えています。「患者さん、どうしよう。、」と。今、考えるとひどいこと言ってしまった、と後悔し、あの時のことをよく思い出します。たぶん、私以外でも、歯科医院経営者の日本人だったら同じような考え方かもしれません。まず、自分のことより、仕事を全うする、患者さんのケアのことを一番に考える、というのが日本の一般常識、
父が多くの患者さんを抱えながら、亡くなる最後まで患者さんのことを心配していたことが頭の中にあった私からの第一声です。そして、主人の答えが、「可奈子、申し訳ないけど、今は自分のことしか考えられない。」と。それから3か月もしないうちに、患者さんの処理もできないうちに、主人は亡くなってしまいました。もちろん、口では、ああは言っていても、生きている間に患者さんの引き継いを何とかしようと努力しましたが、なんと言っても宣告されてから3ヶ月しかありませんでしたから、実際は何もできずに逝ってしまいました。
その後、2年間、フランスでフランス語もわからずに、私は、患者さんの処理に追われました。大変な2年間でしたが、私にとっては人生観を変えるほどの貴重な時間でした。この2年間で気づいた事は、健康な身体があれば、誠意を持って対応すれば乗り越える事のできない苦難はない、ということです。そして、何があっても大丈夫、誠意を持って対応すれば、手を差し伸べてくれる人が必ずいるということも確信した2年間でした。

今回のエッセイで、私の言いたいことは、皆、1人ではないということ、1人で問題を抱えないで、誰かに頼っていいのです。たとえ、毎日、「先生!」と慕われ、頼られる立場の人たちもです。
また、病気になったらおしまいです。どうか、健康管理も仕事のうちとして休みをきちんとるように心がけてほしいものです。

6年間の歯科大を経て4年の間の苦しい大学院生活、開業医の元での大変な修業時代を経、そして開業8年目にして、やっと軌道にのりかけ、人生を少し楽しんで見ようかな、と思った矢先に45歳で亡くなった、友人歯科医師。ご両親の悲しみは深いです。「この子にも、人並みの結婚をさせてあげて、家庭や子供をもたせてあげたかった。」と泣きながら語っていらっしゃいました。本人は、両親に育ててもらったこと、高額な費用がかかる私立の歯科大学にいれてもらったことに感謝し、何とか立派な歯科医師になって歯科医院を成功させるんだ、と心に決めていたと思います。でも、両親はそれ以上に、本人の幸せな生活を望んでいただけだったように思います。
今回の知人の死は、あらためて、人は何のために生きるのか、について考えさせられる悲しい出来事でした。
そして、お悔やみを申し上げるとともに、心に感じたことを書いてみました。

現在、日本にも医療関係の経営や病気のための医院の引き継いなどに相談にのってくれる専門のコンサルタント会社もできました。何か困ったことがあったら、一人で悩まず、そういう人たちに相談してみてはいかがでしょうか。


最後に、日本も早く堂々と休みがとれる環境になり、また、休んでいる人たちを暖かく見守れる心の余裕を皆が持ち、歯科医師にかぎらず、責任を抱えながら働いていらっしゃるすべての皆様が、心身ともに健康を維持し、生活も楽しみながら働けるようになってほしい、と心より願う2016年の年を迎えました。

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